東邦大学 医療センター佐倉病院
産業精神保健・職場復帰支援センター
センター長・教授
| 平成3年3月 | 徳島大学医学部医学科卒業 |
| 平成3年5月 | 岡山大学医学部神経精神医学教室入局、同附属病院にて研修 |
| 平成13年4月 | 香川労災病院 メンタルヘルス科副部長 |
| 平成17年8月 | 香川労災病院 勤労者メンタルヘルスセンター長 |
| 平成21年8月 | 独立行政法人労働者健康福祉機構 本部研究ディレクター |
| 平成25年10月 | 東京労災病院 勤労者メンタルヘルス研究センター長・両立支援部長 |
| 平成28年10月 | 東邦大学 産業保健・職場復帰支援センター(佐倉)センター長・教授 |
| 現在に至る |
日本産業精神保健学会理事、日本産業ストレス学会理事、日本外来精神医療学会常任理事、日本精神神経学会専門医・指導医、日本職業災害医学会評議員・労災補償指導医、人事院健康専門委員、東京労働局精神部会委員、日本精神科産業医協会理事、日本総合病院精神医学会評議員、東京産業保健総合支援センター産業保健相談員
私は、広島県出身で、尾道東高校を卒業後、徳島大学医学部医学科に入学いたしました。卒業後は、岡山大学神経精神医学教室に入局し、同附属病院にて研修を始めました。徳島大学医学部在学中より、人の精神現象に関心を持ち、精神疾患の病態・治療を学び、病状・障碍に対する治療、支援に貢献できればと考えておりました。
精神科医として、当初は青年期臨床への注力が大きかったものの、次第に勤労者医療・研究に自身のエフォート率は高まり、労働衛生・産業保健に関する公的研究に取組む機会にも恵まれ、産業メンタルヘルス領域を中心とした学会活動も増してまいりました。
このような流れから、東京労災病院を経て、東邦大学の産業精神保健部門に着任し3年半が経過しました。現在の「働き方改革」におきましても、メンタルヘルス対策、両立支援は重要な課題となっており、今後も微力ながら努めてまいりたい所存です。
今後とも一層のご指導ご鞭撻を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
(2020年3月2日)
国立病院機構 四国こどもとおとなの医療センター
副院長
| 昭和28年 | 徳島市に生まれる |
| 昭和53年 | 徳島大学医学部医学科卒業 |
| 昭和53~54年 | 徳島大学第二外科 |
| 昭和54~55年 | 高知県中村市民病院外科 |
| 昭和55~57年 | 徳島県小松島赤十字病院外科 |
| 昭和57~59年 | 徳島大学第二外科 |
| 昭和59~60年 | 国立療養所東徳島病院外科 |
| 昭和60~平成3年 | 徳島大学第二外科助手 |
| 平成3~平成25年 | 国立療養所香川小児病院 心臓血管外科 |
| 平成25年 | 四国こどもとおとなの医療センター 小児心臓血管外科 |
| -現在に至る |
医学博士、日本心臓血管外科専門医、徳島大学医学部臨床教授、日本小児循環器学会評議員、日本循環器学会四国支部評議員
昭和53年に医学部を卒業しましたが、その当時はほとんどの卒業生は、徳島大学の各医局に入局していました。私は、第二外科に13名の同級生とともに入局し、医員となりました。一般外科を研修後、昭和60年に徳島大学に心臓外科が新設されるとのことで、心臓外科を手伝うために第二外科の助手として心臓外科の診療に従事しました。平成3年に国立療養所香川小児病院に勤務してからは、小児心臓外科の診療を行い、現在に至っています。入局当時と比べると、心臓外科も著しい進歩があります。最近では、新生児の開心手術も多くが救命できるようになってきました。
話は変わりますが、平成29年よりザンビアのUTH University(Teaching Hospital)で心臓外科手術の指導を年に2回ほどボランティアで行っています。ザンビアは国民の平均所得も低く、インフラの整備も充分でなく、心臓外科を軌道に乗せるにはまだまだ時間がかかると思われます。私はそろそろ現役を引退ですが、体力の許す間は手伝いたいと思っています。
(2019年9月26日)
医療法人倚山会田岡病院
院長
| 昭和57年 | 徳島大学医学部医学科卒業 |
| 昭和57~58年 | 徳島大学第一外科 |
| 昭和58~60年 | 国立高知病院外科 |
| 昭和60~62年 | 麻植協同病院外科 |
| 昭和62~63年 | 徳島大学第一外科 |
| 昭和63~平成2年 | 玉真病院外科 |
| 平成2~平成23年 | 田岡病院外科 |
| 平成15年 | 山手町 田岡病院院長 |
| 平成23年 | 万代町 田岡病院院長 現在に至る |
日本外科学会指導医、徳島大学外科臨床教授、日本消化器外科学会指導医、徳島県医師会常任理事、日本救急医学会専門医、徳島大学大外科同門会会長、日本麻酔会 標榜医、土佐高校同窓会徳島支部長
平成30年9月10日 救急医療功労者厚生労働大臣表彰
徳島大学第一外科に入局し、田岡病院にて約30年、腹部救急を中心とした救急医療をさせていただいております。徳島市医師会で、16の応急救護所を設置し、JM-1という備品の設置および訓練訓練を10年かけて終了し、現在2順目で応急救護所設置訓練をしております。徳島県医師会では、神山メディカルコントロール協議会会長のもとで勉強させていただくとともに、DMAT、JMAT、JPTEC、JATEC、ICLSといったことにも関わらせていただいております。また、今年度中には徳島JMATを立ち上げたいと考えております。
私事ですが、徳島大学在籍中は全学の軟式庭球部の所属しておりました。当時の先輩の作られた「軟庭カップの歌」をご紹介し、徳島大学へのエールとさせていただきます。
吉野川の注げるところ
常三島の学園に ともに学びし先輩の
心こもれるこのカップ
いつまでも いつまでも 受け継がん
(2019年3月14日)
医療法人社団医王会 丸の内トラストタワークリニック
理事長・院長
| 1977年3月 | 徳島大学医学部医学科卒業 |
| 1985年3月 | 順天堂大学大学院医学研究科修了 |
| 1985年4月~1999年6月 | 順天堂大学医学部勤務(助手・講師) |
| 1999年7月~2004年3月 | 医療法人社団 銀座医院(副理事長・院長) |
| 2004年6月 | 丸の内トラストタワークリニック開設 |
現在、JR東京駅から一番近い場所で開業して15年が経過しました。地域住民はゼロで、患者さんは近隣のサラリーマンです。医師仲間から日本一高価な家賃のビルでよく開業できているねと質問されますが、医療保険収入だけではとっくに倒産しています。開業できているのは、都心部の立地を生かした産業医活動です。そのきっかけを作ってくれたのは予備校時代に出会った大親友の南部靖之君(現パソナグループ代表)で、徳島大学5回生の2月に人材派遣会社を創業し、私も創業者の一人として参加させてもらったことです。
創業してから42年、会社は大きく躍進し、㈱パソナグループとして、創業以来変わらぬ「社会の問題点を解決する」精神のもと、多くの人材関連事業を行う会社に成長しました。その傘下には関連会社が60社、社員は全世界に1万人います。私はパソナグループの統括産業医として、全グループ会社の労働安全衛生法に係る仕事をしています。この会社と出会えたおかげで、医師としての人生が豊かになり、すべての社員と仲良く協力しあい、会社のいろいろな案件に関わりあえて、本当に充実した日々を過ごすことができました。
60歳の還暦を迎えてからは、「ソーシャル・アクティビスト」としても生きていくことを決心し、いろいろな社会貢献活動をしています。徳島大学は創立70周年を迎え、野地学長先生ともお話しできる機会をいただき、今後母校にどのようにして少しでも貢献できるかを思案中です。ほかには、青藍会東京支部(会員数;450名)の事務局を40年間近く務め、社会保険診療報酬支払基金東京支部の審査委員を30年間務めてきました。
あっという間の40年でしたが、これからも多くの仲間たちと一緒に精進したいと考えています。信念を貫けば、必ず道は開ける!
(2018年9月27日)
高知医科大学名誉教授
| 昭和37年 | 徳島大学医学部卒業 |
| 昭和56年 | 高知医科大学整形外科学講座教授 |
| 平成8年 | アジア太平洋脊椎外科学会理事長 |
| 平成12年 | 高知医科大学医学科長 |
| 平成13年 | 社団法人日本整形外科学会理事長 |
| 平成15年 | 高知医科大学名誉教授 |
| 平成23年 | 財団法人運動器の10年・日本協会理事長 |
| 平成21年 | 中富健康科学振興賞 |
| 平成23年 | 公益法人日本整形外科学会学会賞 |
| 平成29年 | 瑞宝中綬賞 |
平成29年11月に教育研究に対する功労として瑞宝中綬章が授与されるとの文部科学省からの通知を受け、叙勲勲章伝達式に出席させて頂きました。勲記には「日本国天皇は山本博司に瑞寶中綬章を授与する 皇居において璽をおさせる」と書かれていました。伝達式後に家内と共に皇居に赴き、皇居豊明殿において天皇陛下に拝謁する機会が与えられました。旭に輝きたなびく雲が壁に描かれた豊明殿で陛下がゆっくりと歩まれて来られてお元気そうな笑顔でお言葉を賜りました。「皆様おめでとうございます。長年に亘りそれぞれの分野で多くの人たちのためにご貢献され感謝いたしています。これからも健康に留意され健やかに過ごされ豊かな社会のために尽くしてください」との趣旨のお祝いと労りのお言葉を頂き、大変感激させられました。今回の叙勲に浴したのも多くの方々のお導きのお陰と深く感謝しています。
想い返せば、昭和37年に徳島大学医学部を8期生として卒業し昭和38年に大学院に入学し山田憲吾先生の下で整形外科学を学ばせて頂きました。昭和56年より恩師山田憲吾先生のお導きで高知医科大学整形外科学教室の初代教授の道を与えて頂きました。42歳の若輩には「零からの出発」であり辛苦を味わいながらも、徳島大学から共に赴任して来た貞廣哲郎助教授、谷俊一講師たちと共に「創意と情熱」を教室のモットーとして活力ある人材の育成と新しい研究の発信に努めてきました。その教室も36年の歴史を重ね、谷俊一第2代教授、更には高知医科大学出身で共に学んできた池内昌彦第3代教授に引き継がれ教室は前進を続けて頂いています。
大学院卒業後の徳島大学と高知医科大学での36年間の国への奉職に加えて、社団法人日本整形外科学会において2期4年間にわたり理事長職を務めさせて頂き、整形外科医の教育・研究・診療の向上に努めさせて頂く機会に恵まれたことも幸いなことでした。アジア太平洋脊椎外科学会理事長として発展途上にあったアジア太平洋地域の脊椎外科医の育成に努めることが出来たことも良き思い出であります。80歳の齢を重ねてきていつまで天から命を授けられるか分かりませんが、陛下から賜ったお言葉のように健やかに人生を全うしたいと願っています。
(2018年3月27日)