特定医療法人橘会 みずほ台病院
理事長・院長
| 昭和44年 | 徳島大学医学部医学科卒業 |
| 昭和46年 | 徳島大学医学部 第二内科入局 |
| 昭和53年 | 阿南医師会中央病院勤務 |
| 昭和54年 | みずほ台病院設立 |
| 昭和56年 | 医療法人橘会 みずほ台病院 |
| 平成5年 | 特定医療法人橘会 みずほ台病院 |
| 平成12年 | 理事長・院長に就任 |
みずほ台病院は私の兄、進次(外科・脳外科医)と義昭(歯科医)が建ち上げた病院です。私は第二内科で10年間在籍したあと、当院開院と同時に徳島から赴任し、既に36年が経過しました。幸運にも健康に恵まれて、これまで体調不良のため休診したことはありません。
その甲斐あってか、このたび既存病院(200坪)に隣接する400坪の土地に、新病院を建築することができました。引き続き既存病院を取り壊し、新病院を拡張することになっています。
私は今で言う総合診療医を目指して母校第二内科に入局し、内分泌・代謝分野で研修を受けました。当院に来てからは消化器内視鏡に興味を持ち、開業医向けの研修会に参加して研鑽に励んだ結果、私個人の症例だけでも年間250例前後の大腸内視鏡検査をこなすまでになっています。そのうちの約半数が近隣のクリニックからの紹介患者であることから、その信頼に応えるべく、日々の検査こそが修練の場と自覚して、診察を楽しんでいます。
(2015年4月24日)
医療法人青心会 郡山青藍病院
理事長・院長
| 昭和42年3月 | 徳島大学医学部卒業 |
| 昭和43年4月 | 大阪大学医学部附属病院第二外科入局 |
| 昭和59年3月 | 医療法人青心会理事長・郡山青藍病院 院長 |
| 平成9年11月 | 医療法人青心会老人保健施設 ピュアネス藍開設 同施設長就任 |
| 現在に至る |
奈良県病院協会理事、奈良県老人保健施設協議会 幹事・リハビリ分科会委員長、奈良県救急医学会理事、奈良県立医科大学救急外科非常勤講師 等
野中家久氏は、当大学医学部を昭和42年に卒業後、阪大医学部第二外科で研修。昭和59年3月、奈良県大和郡山市に病院を開設されました。病院名は「郡山青藍病院」です。 青藍会の皆さんには馴染み深い名前を、同窓会本部に許可を得て付けたそうですが「青は藍より出でて藍より青し」を忘れることなく「病むは人なり 医も又人なり 人と人なり」を理念に、地域に密着した医療に取り組んでおられます。また「奈良県の救急は奈良県で受ける」という強い意思を持って救急医療にも力を入れ、年間約2000件の救急患者を受入れておられます。平成9年には「高齢者の生活もこれからはサポートが大切」と介護老人保健施設「ピュアネス藍」を開設され、医療と介護の両面から地域に必要な医療機関と支持されています。その他新しい分野にも常にアンテナを向け、循環器科や人工透析、自由診療域にも積極的に取組んでおられます。
平成26年3月には病院創立30周年を迎えられ、記念式典を開催されました。その場では各分野の方々から、お祝いとねぎらいをうけて光栄だったと喜んでおられました。野中氏の人柄と真面目さが周囲に伝わった結果でしょう。
病院に「青藍」をつけるくらい徳島大学が大好きな野中氏です。今後もパワフルに活動し、青藍会を盛り立ててくれると期待しています。
(2014年10月1日)
医療法人藤田眼科
院長
| 1978年 | 医学部医学科 卒業 |
| 徳島大学医学部眼科学講座 | |
| 1988年〜 | 徳島赤十字病院 |
| 1994年〜 | 医療法人白義会 |
| 1999年〜 | 医療法人藤田眼科 院長 |
眼科学講座、徳島赤十字病院では最新の白内障手術を学び1994年に藤田眼科を開院した。
1998年、ミャンマー保健省よりミャンマーにおける超音波白内障手術の普及を依頼された。1999年、超音波白内障手術器械、眼科手術用顕微鏡を寄贈。今日まで24回、ミャンマーを訪れ、器械、器具、薬剤などの寄贈とともに、ヤンゴン、マンダレー眼科病院の眼科医約100名に教育、指導を行った。現在では、超音波白内障手術はミャンマーで広く受け入れられている。
(2014年4月1日)
くすのき医院
院長
| 1969年 | 医学部医学科 卒業 |
医学部15期生・楠 忠樹君(名東郡佐那河内村出身 69才)
平成25年5月20日・エベレスト登頂に成功
寄稿:医学部15期 山田 大資(北島町 山田外科内科)
今年、5月20日、昭和44年卒、医学部15期生の楠忠樹君が69歳にして三浦雄一郎氏の登頂3日前にエベレスト登頂に成功しました。 有名人の三浦氏の存在に隠れ、全国版では一切報道もされませんでしたが、徳島県人としてかつてない彼の快挙が新聞報道(徳島新聞・6月27日に掲載)されなければほんの一部の人しか知らなかったと思います。 日本人のエベレスト登頂成功者は平均年齢41才、200人弱、65才以上になれば三浦氏の2回を含め、僅か11人で楠君は199人目の登頂成功者です。
彼とは城南高校、徳大医学部、医師免許を取得するまでおよそ10年に亘り同じ机を並べ、彼は大学卒業後、学園紛争の最中(さなか)、神戸大学脳外科医局へ。体も大きくない彼のどこに当時は未開拓な脳外科へ挑戦する強い意志があったのか。
その後、神戸市内に脳外科医院を開業、マラソンや日本の百名山に挑戦していると云う風の便りがありました。大学卒業以来音信も途絶え、昨年の15期生の「古希同窓会」近況報告では今生の別れに初めて同窓会に出席したのか、エベレストへの挑戦の決意を語り、登山など無縁の私などには一歩間違えれば落命、命がけの馬鹿な行動と思っておりました。最後の連絡は4月14日、その前後、彼は決死の覚悟で日本を後にしました。今回、ベース・キャンプでは三浦雄一郎氏にも会って交流し、お互いの健闘を誓ったと後日話しておりました。
彼の登頂成功は同窓生、徳島県人にとっても正に快挙です。
楠忠樹君、エベレスト登頂おめでとう。15期生の同級生に更なる勇気を与えてくれて本当に有難う。我々も君に負けないよう頑張ってゆくよ。
(2013年10月1日)
名古屋大学大学院医学系研究科病態内科学講座
呼吸器内科学分野
教授
| 1980年 | 医学部医学科 卒業 |
| 2010年10月〜 | 名古屋大学 総長補佐 |
| 2012年4月〜 | 名古屋大学大学院医学系研究科 副研究科長 |
| 2013年4月〜 | 名古屋大学医学部附属病院 副病院長 |
卒業後すぐに、名古屋大学で実施されていた市中教育病院での臨床研修制度に参加し、その後名古屋大学大学院(内科学第1講座)を経てカリフォルニア大学医学部ロスアンゼルス校に学んだ。大学院時代から免疫学・分子生物学的手法を学び、TNF-receptor、遺伝子治療、遺伝子多型研究を通じて呼吸器疾患の分子生物学的解析研究を推進してきた。
現在は、総長補佐、名古屋大学博士課程教育リーディングプログラム・オールラウンドプログラム担当者として大学教育全体に関わるとともに、副研究科長兼副病院長として医学部・病院運営に携わっている。
(2013年4月1日)